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広島地方裁判所 昭和60年(ワ)468号 判決 1988年7月26日

原告

吉本英章

右訴訟代理人弁護士

上田勝義

寺垣玲

新川登茂宣

被告

日本電信電話株式会社

右代表者代表取締役

真藤恒

右指定代理人

吉川愼一

岩佐榮夫

萩原旭児

白島博生

田原美和

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  原告が、被告が原告に対し昭和五九年一月二六日になした同年二月一日付けで中国電気通信局局長室調査役勤務を命ずる旨の勤務命令に従う雇用契約上の義務を負わないことを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者の地位)

(一) 被告は、日本電信電話株式会社法(昭和五九年法律第八五号)に基づき昭和六〇年四月一日設立された株式会社であり、別紙機構図(一)のような機構のもとに国内の電気通信事業の経営のほか、これに附帯する業務等を行っているものである。

なお、被告の前身は、日本電信電話公社(以下「被告公社」という)であり、右被告公社は、日本電信電話公社法により昭和二七年八月一日公法人として設立され、別紙機構図(二)のような機構のもとに公衆電気通信業務等を行っていたが、いわゆる民営化の結果、前記日本電信電話株式会社法附則四条一項により、被告成立の時において解散するものとされ、その一切の権利及び義務はその時において被告が承継するものとされるとともに、同法附則六条一項により、被告成立の際現に被告公社の職員である者は、被告成立の時に被告の職員となるものとされた。

(二) 原告は、昭和三四年三月広島大学政経学部を卒業し、同年四月被告公社に入社した後、別紙職歴表記載のとおり、全国各地で勤務を続け、昭和五八年一月からは広島中央電報局長として勤務していたものである(なお、原告は、右当時被告公社の設けていた管理職ランク(Mから最上位のAまで一三段階のランクがある)のうち、Eランク(副参与一級)であったものである)。

2  (本件配転命令等)

被告公社は、昭和五九年一月二六日、原告に対し、同年二月一日付けで中国電気通信局局長室調査役としての勤務を命ずる旨の配置転換の意思表示をなした(以下、これを「本件配転命令」という)。その後、右「中国電気通信局局長室調査役」の職位は、前記被告公社の民営化に伴って「中国総支社調査役」と改称され、被告は、昭和六〇年四月一日原告に対し同改称に沿った発令を行ったが、右「中国総支社調査役」の職位は、更にその後の組織改正によって「中国総支社担当部長」と改称されるに至った。

3  (原告の対応)

本件配転命令は、後記4記載のとおり無効のものであって、到底これに承服することができないものであるから、原告は、即刻被告公社に対し異議を申し述べてその撤回を求めたが、職場における無用な混乱等を避けるため、一応本件配転命令に従う旨を申し入れた。

4  (本件配転命令の無効)

本件配転命令は、以下の理由から無効なものである。

(一) (配転合意の不成立)

労働者の職種、勤務場所を変更する使用者の配置転換命令は、労働条件対等決定の原則を定めた労働基準法二条一項の趣旨に鑑みると、いかなる場合においても労働契約内容の変更申入れであって、労働者の明示もしくは黙示の同意がなければ、その法的効力は生じないと解すべきであり、使用者は、労働契約上、当然には一方的な配転命令権を有するものではないというべきである。

そして、原告は被告公社に対し、本件配転命令にかかる配転の申入れについて、その正式発令前及びその直後に明確に異議を申し述べ、これに同意しない旨を明らかにしているのであるから、本件配転命令は法的効力を有しないものであって、無効である。

(二) (人事権の濫用)

仮に、本件配転命令が原告の同意を要しないものであるとしても、本件配転命令は、次の経過から明らかなとおり、被告公社において、何ら業務上の必要性や合理性がないにもかかわらず、その人事権を濫用して行ったものであるから、無効なものである。

(1) 原告は、昭和五八年一月二八日広島中央電報局長の発令を受けたのち、同年二月一日、当時の中国電気通信局長飯田克己(以下「飯田通信局長」という)のもとに着任の挨拶に出向いたところ、飯田通信局長においては、原告に対しいわれなき偏見や個人的悪感情を抱いていたため、同局長から何ら具体的な説明もないままに、いきなり「白紙の退職願を書いて、明朝八時三〇分までに預けておけ」と申し渡された。原告は、そのような不当な退職願の提出強要に従う必要はないと考えて、その場で抗議したものの、着任早々でもあり、監督権を有する同局長に逆らうわけにもいかないと判断し、翌二日、不本意ながらも、同局長に対しやむなく自己の進退を一任する旨の白紙委任状を提出した。

(2) その後、飯田通信局長は、右の出来事から同局長の誤解を解こうとして面会を求める原告の申し出を、多忙を理由に拒否し続ける一方で、原告に対する偏見と反感から、いわば原告の「アラ探し」の意図で、平田稔広島都市管理部長(以下「平田部長」という)、岡野昭敏同部次長(以下「岡野次長」という)や森英明広島中央電報局次長(以下「森次長」という)らをして、広島中央電報局の管理者職員らから同局における原告の勤務状況についての情報を収集させた。いうまでもなく、飯田通信局長の情報収集の意図が右のようなものである以上、その指示を受けた平田部長らの報告が上司である飯田通信局長の意図に沿う偏ったものとなることは必然であり、また右情報収集行為を行うこと自体が、広島中央電報局の管理者職員らの間に原告に対するわだかまりを生じさせるものであった。

(3) 原告は、同年九月一二日岡山県倉敷市で開催された飯田通信局長主催の経営懇話会に現場機関長の一人として出席したが、同局長は、その席において、原告の「お客様代表者会議」(同年五月二五日及び同年九月八日開催)における発言時間を問題として取り上げ、長過ぎて非常識であると非難した。

原告が右両日の会議に出席し、電気通信事業の現況に関して、約三〇分間程説明を行ったことは事実であるが、右の会議では発言時間の制限はなかったものであって、右の非難は同局長の前記(2)記載の如き誤った情報に基づく誹謗にほかならない(なお、被告は、同局長はその際右会議と後記の「奥様モニター会議」とを混同していたと主張するが、仮にそのとおりだとしても右の事情になんら異なるところはない)。にもかかわらず、飯田通信局長は、原告の説明に耳を傾けようともせずに、「事実はどうでもよい、他人の意を介さず三〇分間も話をすること自体が問題であり、象徴的に言っているに過ぎない」などと一方的に原告を非難するのみであった。

(4) 更に、飯田通信局長は、前記経営懇話会に引き続いて行われた懇親会の二次会において、多数の出席者の面前で、入室したばかりの原告に対し、いきなり「辞表を出せ」と大声で要求し、原告をあからさまに悔辱した。なお、これに対し、原告は、同局長に対し「辞表は提出しない」と反論した。

(5) その後、被告公社の本社秘書課長吉田實(以下「吉田本社秘書課長」という)の呼び出しを受け、同年一二月二三日本社秘書課長室において同課長と面会したが、同課長から、「次の人事では局長のポストをはずす。新たなポスト(局長職に見合うような責任や権限のある職位)にはつけない。君をとるところはどこにもない。そうなれば、君はさらし者になり耐えられまい。この際辞めたらどうか」と申し渡された。原告は、同課長に対し、その理由の説明を求めたが、同課長においては、「広島中央電報局内の管理職がまとまっていない。このような状況では経営の合理化が行えない」などと言うのみであって、何ら具体的理由を示さなかったため、原告は、同課長に対し、そのような抽象的かつ不明確な理由による人事異動や辞職勧告には到底従えない旨を伝えた。

(6) また、原告は、昭和五九年一月一八日飯田通信局長と面会したが、同局長から、「次の人事では広島中央電報局長のポストをはずす。新たなポストにはつけない」と申し渡されたため、同局長に対し、広島中央電報局長のポストをはずされることには異議があり承服できないことを伝えるとともに、再考方を要請した。

なお、その前後において、原告は、飯田通信局長や吉田本社秘書課長ら本社人事担当者から事情聴取や弁明の機会が与えられたことは一度もなかった。

(7) 以上のような本件配転命令に至った経過をみれば、本件配転命令が、飯田通信局長もしくはその意を受けた被告公社人事部門の原告に対するいわれなき悪意に満ちた偏見か、先入観ないしは誤解、或いは個人的な悪感情に基づいてなされたものであることは明白であるといわなければならない。

原告は、それまで被告公社の経営方針に則り誠実かつ真剣に職務に精励してきたものであり、格別他から非難されるべき行動をとったことはないものであって、このことは、現に飯田通信局長や吉田本社秘書課長も、前記のとおり原告の広島中央電報局長としての勤務内容につき、不適格もしくは不適任を示す具体的事実の指摘をなし得ていないことからも明らかである。

(8) ところで、原告が本件配転命令により勤務を命ぜられた中国電気通信局局長室調査役という職位は、実質的な担当業務を伴わないものであって、前記のとおりEランクの管理職の地位にあった原告にとっては明らかに降職を意味し、従来から再就職予定の退職待機者に短期間だけ与えられてきた形式的な職位に過ぎない。それゆえ、本件においても、被告公社は原告に対し辞職を余儀なくさせるために右職位に配転したものというほかなく、まさに吉田本社秘書課長が言明したとおり、原告を「さらし者」にし、辞職に追い込むための人事措置といわざるを得ない。

(9) また、本件配転命令発令前には原告の中国電気通信局局長室調査役としての担当業務は被告公社において一切用意されておらず、原告は、地位保全の仮処分を申請したのちの昭和五九年二月一五日ころに至って、ようやく飯田通信局長の後任の大星公二中国電気通信局長から極めて抽象的な調査業務の担当を示唆され、また同年四月二七日八尾康司中国電気通信局秘書課長(以下「八尾秘書課長」という)から「吉本調査役の担当業務」と題する極めて漠然とした内容の書面を受領したにとどまる。そのため、原告は、被告に対し「質問書」と題する書面を郵送するなどして、担当業務の明確化を求めたが、これに対し被告からは何らの回答も得られず、現在に至るまで担当業務につき具体的指示を受けていない。

更に、原告は、中国電気通信局内において、局議等の一切の会議への出席を拒まれており、社内資料等の回覧も極めて制限されているうえ、補助的スタッフも与えられず、給与面でもその後次第にいわゆる季節的手当や管理職手当等を大幅に減額されるに至っており、事実上辞職を強要されている状態にある。

5  (結語)

よって、被告公社の行った本件配転命令は、明らかに無効であるから、原告は被告に対し、原告が本件配転命令に従い中国電気通信局局長室調査役(前記二の2記載のとおり後に中国総支社調査役、更に中国総支社担当部長と改称された)として勤務すべき雇用契約上の義務を負わないことの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実中、本件配転命令が被告公社の意思表示であるとの点は否認する、その余の事実は認める。

3  同3の事実中、原告が被告公社に対し本件配転命令に従う旨を申し入れたことは認めるが、その余の事実は争う。

4(一)  同4の各事実のうち、(一)の主張を含め本件配転命令が無効であるとする点はすべて争う。

(二)  同(二)の(1)ないし(9)の各事実に対する認否は次のとおりである。

(1) 右(1)の事実中、原告が昭和五八年一月二八日広島中央電報局長として発令され、同年二月一日飯田通信局長のもとに着任の挨拶に出向いたこと、及びその際同局長が原告に対し書面の提出を求め、翌日原告から書面の提出がなされたことは認める。その書面の趣旨については否認する。原告の内心の事情に関する部分は知らない。

飯田通信局長が前記書面の提出を求めたのは、原告の広島中央電報局長への発令が、周囲の多くの人々の助力や忠告があってはじめて実現したものであったことから、原告にその自覚があるかどうかを確かめたところ、原告にはそのような自覚がまったくみられなかったため、上司又は先輩として、原告の自覚を促し、「心機一転、自分に一切を任せるくらいの気持ちで新しい職務に取り組むように」と叱咤激励しようと考えたがためであって、決して原告をいつでも退職させることができるようにする意図に基づくものではない。

(2) 同(2)の事実はすべて争う。

飯田通信局長が平田部長らをして原告に関し実情の調査を行わしめたのは、原告の広島中央電報局の局務運営に懸念を抱いていたがためであり、同局長が中国管内全体の業務運営の統括者の職責を負う以上は、その統括下にある広島中央電報局の業務運営にも関心を払い、それに関する実情の把握に努めることは当然のことといわなければならない。なお、人事に関する問題である以上、逐一その対象たる原告本人の許可ないし同意を得たうえで、原告の部下管理者職員から事情を聴くなどということはおよそ考えられないことである。原告は、これをスパイ活動又は分断工作等と非難するが、右の原告の発想自体が非常識というほかない。

(3) 同(3)の事実中、原告が同年九月一二日倉敷市で開催された飯田通信局長主催の経営懇話会に現場機関長の一人として出席したこと、その席上飯田通信局長が原告の「お客様代表者会議」における発言時間を問題に取り上げたこと、及び同会議においては発言時間の制限があったものではなかったことは認めるが、その余の事実は否認する。

飯田通信局長が原告の長時間発言を問題に取り上げたのは、原告が周囲の状況を無視し他人の意を介さずに行動する点を指摘して原告を説諭するため、象徴的にその一例として挙げたものに過ぎない。その際、同局長は、実際に右発言のなされた「奥様モニター会議」(同年三月一一日及び同年五月一八日開催)を右「お客様代表者会議」と思い違えて説諭したが、そもそもいずれの会議であったかなどが問題となる事柄ではない。

(4) 同(4)の事実中、飯田通信局長が経営懇話会に引き続いて行われた懇親会ののちの席で原告に対し辞表の提出を求める発言をし、これに対し原告が「辞表は提出しない」と反論したことは認めるが、その余の事実は否認する。

飯田通信局長の右発言は、同局長が原告の自己中心的で他人の意を配慮しようとはしない考え方や行動を反省させるべく、原告を説諭したのに対し、原告が問題視する会議が違うとか、発言時間の制限はなかったなどの理由をもうけて弁解し、いっこうに自己の非を認めようとしないことから、原告を強くたしなめる趣旨で行ったものである。

(5) 同(5)の事実中、原告が吉田本社秘書課長の呼び出しを受け、同年一二月二三日本社秘書課長室において同課長と面会したこと、及びその際同課長が原告に対し原告が広島中央電報局内の管理者を掌握していない旨の発言を行い、更に「次の人事では局長のポストをはずすことになろうが、この際辞めたらどうか」と話したところ、原告が右の人事異動や辞職勧告には従えない旨を答えたことは認めるが、同課長が原告に対し「新たなポストにはつけない、君をとるところはどこにもない」、「君はさらし者になる」、「管理職がまとまっていない状態では経営の合理化が行えない」などの発言をしたことは否認する。

吉田本社秘書課長が原告と面談したのは、原告に現場機関長としては不可欠な部下管理者職員に対する指導統率力が欠けていることが原因で、広島中央電報局の局務運営に支障が生じており、原告に対する事情聴取に併せて、これに関し説諭を行う必要があると判断したためである。ところが、原告にはその点について自覚や反省がなく、ただ上司や部下を非難するのみであったため、同課長は、同局局長としては原告は不適任であると判断したうえ、原告に対し、原告があらためて自省するのでなければ、次期人事異動で右ポストからはずさざるを得なくなることを伝えるとともに、そのような異動ののちでは被告公社に残ったとしても、原告にしてみればさらし者になったと感じて居づらいであろうから辞職という対応方法のあることをアドバイスしたものである。

(6) 同(6)の事実中、原告が昭和五九年一月一八日飯田通信局長と面会したこと、その際同局長において原告に対し「次の人事では広島中央電報局長のポストをはずすことになろう」と発言したところ、原告がポストをはずされることには異議があり承服できないと答えるとともに、再考方を申し出たこと、及びその会談以降には原告に対する事情聴取等が行われなかったことは認めるが、飯田通信局長が原告に対し「新たなポストにはつけない」との発言をしたこと、及びそれまでの間には原告に対する事情聴取等が行われなかったとの事実は否認する。

当日の飯田通信局長の発言は、原告が広島中央電報局の管理者職員を掌握し得ていないこと、また原告の自己中心的な言動に対し右職員らがどのような受け止め方をしているかについて、原告がそれをまったく配慮していないこと、原告が上司の忠告などを素直に聞き入れようとはしないこと等を繰り返し指摘して説諭したにもかかわらず、原告が「拝聴する」などと答えるのみで真面目に聞き入れようとはしなかったため、原告は同局局長としては不適任であるとの判断を固め、原告に対し次期人事異動で右ポストからはずさざるを得ないことを明確に伝えるためになされたものである。

また、吉田本社秘書課長や飯田通信局長の行った原告との前記面談が原告の主張する事情聴取や弁明の機会そのものであることはいうまでもなく、その際に原告が自己の正当化を懸命に行い十分反論していることはすでに述べたところから明らかであるほか、それまでにも被告公社においては平田部長や岡野次長らが原告に対し説諭を試みてきたが、原告はその都度上司や部下を非難するに終始したものである。

(7) 同(7)の事実は争う。原告の内心の事情に関する部分は知らない。

(8) 同(8)の事実はすべて否認する。

広島中央電報局長及び中国電気通信局局長室調査役の各職位はいずれも管理監督職群に属しており、本件配転命令後においても原告はEランク(副参与一級)であって、中国電気通信局局長室調査役の職位は原告にとって降職となるものではない。なお、本件配転命令発令当時、Eランク以上(被告公社総裁発令職位)の通信局調査役は全国に原告を含めて三名配置されていたが、他の二名についても原告の主張する如き退職待機のための配置ではない。

(9) 同(9)の事実中、大星公二新中国電気通信局長が同年二月一五日原告に対し中国電気通信局局長室調査役としての担当業務の内容を指示し、また同年四月二七日八尾秘書課長が原告に対し前記「吉本調査役の担当業務」と題する書面を交付したこと、及びその後原告から「質問書」と題する書面が郵送されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告に対して指示された担当業務は、アメリカやイギリスの通信事情等を分析し、当時民営化を控えていた被告公社の経営課題を探り、これに対する方策等を通信局長に提言することであり、本社の経営方針によりつつも地域独自の経営方針を考えて業務運営を行うことが当然のこととされている通信局としては、まさに必要不可欠な業務のひとつであって、その内容は十分明確なものであるうえ、高度の職責を有する原告にとってはまことにふさわしいものである。

被告は、原告に対し業務遂行上必要な資料を制限したり会議への出席を拒否するなどの不利益扱いをするつもりは毛頭ないが、原告においては前記「質問書」と題する書面を郵送し書面による回答を求めるなどの頑なな態度をとり続け、本件配転命令の発令以降まったく担当業務に着手しようとはしないのであるから、被告としても、このような原告に対しては会議への出席を求めたり、必要以上の資料の回覧を行ったり、また補助的スタッフを与えたりすることには消極的にならざるを得ない。更に原告に対する給与上の処遇については、原告が右のとおりまったく仕事をしないのであるから、被告の「管理職給与規則」(被告公社当時は「指定管理職給与規則」)及びその適用通達等に則り考課上の評価をマイナス評価とせざるを得ず、その結果、査定率の範囲内で前記諸手当の減額がなされているに過ぎない。

三  被告の主張

1  (配転命令の根拠等)

(一) 一般的に、労働契約は労働者の労働力の使用を包括的に使用者に委ねるという内容を有する契約であるから、特約がある場合を除いては、使用者はその労務指揮権に基づいて個々の労働者の職種、勤務場所を一方的に決定、変更することができると解すべきである。従って、被告公社は、公社職員に対し、労働契約を締結したことによって、その労働力の包括的な処分権能を取得するのであるから、その権能に基づき、個々の労働者に対してその都度具体的な労働の種類、態様、場所を決定、変更できるものである。

そして、配転命令は、使用者が予め労働者から委ねられた労働力を具体的に使用するという事実行為に過ぎないと解すべきであるから、これを労働契約の内容を変更させる形成的意思表示とみたり、更にはこれを労働契約の内容の変更申入れにとどまるものとして労働者の同意が必要であるとする原告の主張はいずれも失当である。

(二) 仮に、いわゆる包括的合意説の立場を採らないとしても、被告公社の就業規則(日本電信電話公社職員就業規則五一条)は「職員は、業務上必要があるときは、勤務局所又は担当する職務を変更されることがある。」と規定しており、就業規則上職員の配転が予定されているものであって、右配転予定条項は労働契約の内容をなしているものというべきであるから、原則として、具体的な配転につき個々の労働者の同意を要しないものと解すべきである。

しかも、本件においては、原告は、幹部要員として位置づけられる大卒本社採用者であり、被告公社における従来からの慣行上、採用時にその職種や勤務場所のいずれをも特定しないことが合意されているものであり、また原告のその後の異動内容に鑑みても、右が黙示的にせよ合意されているものである。

2  (本件配転命令の正当性)

(一) (人事権の裁量性)

(1) 人事は、企業の経営者において、事業を運営していくうえでいかなる人員の配置を実施すれば効率の良い運営を行い、事業目的を実現することができるかという観点から、労働者個々人の能力、適性等を勘案して行うものであり、企業の経営者の有する人事権は、経営上の権能のうち最も重要な権能のひとつである。

とりわけ、管理者の地位にある職員は、一般事務や単純労務に従事する職員とは異なり、企業経営の一翼を担う者として、程度の差こそあれ企業の存立に関わる重要な立場にあるため、使用者の企業経営に全面的に協力する義務を負い、他方でそれに見合う処遇を与えられているのであるから、このような幹部職員の配置に関する人事は、まさに企業経営における最重要事項のひとつとして、使用者がその経営方針に基づき当該職員の能力、適性、経歴、性格等の諸事情のほか、企業の組織や事業全体の運営を勘案して総合的見地から行う高度で広範な裁量を有する行為というべきである。

(2) そして、幹部職員に対する人事が右のようなものである以上、人事担当者以外の者が当該人事の当否を事後的に判断することは極めて困難であるというほかなく、それゆえ、幹部職員に対する人事権の行使については、右の裁量の範囲を逸脱していることが一見して明白であるといい得るような特段の事情がない限り、これを適法なものというべきである。

(3) 以上の理は、当時公法人でありその後いわゆる民営化のなされた被告にあっても基本的に異なるところはない。

幹部職員たる原告に対して行われた本件配転命令は、被告公社が日本電信電話公社法を初めとする関係法令によって託された使命を達成するために事業経営の一環として実施したものであり、次に述べるとおり、業務上の必要性及び合理性に基づくものであることはいうまでもなく、その裁量の範囲を何ら逸脱したものではない。

(二) (原告の広島中央電報局長発令経緯等)

(1) 原告は、別紙職歴表記載のとおり被告公社の本社及び各地方機関における勤務を経たのち、昭和五一年一月以降本社経営調査室調査役として約七年間勤務していたものであるが、昭和五七年に至って本社組織整備の一環として右経営調査室の廃止が決定されたため、原告に対する人事異動の問題が生じた。

(2) ところで、原告は、もともと自己主張が非常に強く、周囲の状況を顧慮せず、かつ他人への配慮や他との協調性に欠けるところがあり、昭和四五年一月から一年間東海電気通信局管内の島田電報電話局長として勤務した際も、原告の一方的な業務運営から部下管理者職員の離反を招いたばかりか、強引な労務管理方針から大きな労使対立を生ぜしめ、原告と組合員の双方がそれぞれ相手方を刑事告訴するという事件をも惹起し、また労働組合から原告に対する更迭要求が出されるなどの事態をも生ぜしめたものであって、原告の引き起こした島田電報電話局における異常な労使紛争は被告公社内においていわゆる「島田事件」と呼称されて全国的に広まるほどであった。

(3) そのようなことから、原告は、昭和四六年一月からは一貫していわゆるスタッフ的な職務である調査役として勤務してきたが、かねてよりいわゆるラインの長の業務に従事したいとの希望を持ち、また昭和五七年には広島県東広島市に自宅を新築して家族の一部を帰すなどしていたことから広島における勤務を強く望んでいたところ、右の希望を知る福山裕之本社経営調査室次長(以下「福山本社次長」という)は、原告が何とか広島において勤務し得るような異動を本社人事部門に要請していた。

(4) 本社人事部門は、若干の危惧はあったものの、原告も既に年齢をかさねており、また当時における仕事ぶりからみて人間的にも成長しているものと考え、現場機関長としての職務を果たし得るであろうと判断し、飯田通信局長に対し原告を広島中央電報局長として受け入れるように要請した。

飯田通信局長は、かねてより原告の前記した人柄等を了知していたことから、当初は本社人事部門の要請に難色を示したが、最終的には、本社において原告に対し厳重に注意を与え、十分に自覚を促したうえで発令することを強く求め、いわばそれを条件に原告を広島中央電報局長として受け入れることを承諾するに至った。

(5) 飯田通信局長の右要望は本社人事部門から福山本社次長に伝えられ、発令の前日である昭和五八年一月二七日原告に対し広島中央電報局長に発令する旨の内示が行われたのち、福山本社次長は、原告を自室に呼んだうえ、原告に対し、約一時間にわたって、今回の原告に対する人事異動は前経営調査室次長や本社人事部門、飯田通信局長ら多くの人々の好意と助力があってはじめて実現したものであり、自分だけの力でなったものではないことを十分自覚するように忠告するとともに、局長として赴任後はみずからは仕事をしようとせず、部下を信頼して仕事を任せるようにし、決して自分の独断で行動しないようにと厳重に注意した。

(6) 原告は、以上の経過を経て広島中央電報局長として発令されたのであるが、請求原因に対する認否4(二)(1)において述べたように、早くも着任の挨拶の際に飯田通信局長に対し、福山本社次長らによる前記忠告と注意を「聞いていない」と否定するなど、謙虚な自省のうえで、いわば心機一転頑張ろうとする意欲をまったくみせない態度であった。

(三) (本件配転命令の業務上の必要性及び合理性)

(1) (広島中央電報局の局状と課題)

広島中央電報局は、電報業務を中心とし、あわせてデータ通信の販売等の業務を行っており、電報業務に限っていえば、中国電気通信局管内の中核的、指導的立場にある機関であり、職員数も当時約二五〇名(管理者一八名)を擁する大局であった。

ところで、この電報業務は全国的に赤字部門であり、常々業務改善が求められてきており、広島中央電報局もまた業務改善の途上にあった。そして、広島中央電報局の場合、電報業務が赤字部門であることもあって職員の士気高揚や職場の活性化が図りにくいうえ、電報部門生えぬきの年輩のベテラン職員が多いことなどから、同局の運営にあたっては、局全体の動きに気を配り、ベテランの管理者職員との意思疎通を図りながら、局長を中心とする管理者が一体となって業務を推進していくことが必要不可欠であり、しかも原告の在任時は、電報設備を更改し電報処理方法を大幅に変革するとともに、配達業務を請負化することが間近に迫っていた時期でもあって、これら施策の円滑な実施に向けて職員の意識改革が大きな課題となっており、局務運営上特に細かい配慮が要求される時期であった。

(2) (原告の広島中央電報局長としての不適格性)

現場機関長は、組織の長として、職員全体を指導し統率すべき立場にある者であり、組織のもてる力を最大限に発揮し得るように機関全体の良好な運営を行う職責があることはいうまでもないところ、機関長が組織に属する個々の職員を直接指導し統率することは事実上困難であるから、部下管理者職員を通じてこれを行い、もってその職責たる業務管理を遂行すべきものである。従って、機関長としては、日常的に接する部下管理者職員を十分に統率指導し得ることが最も重要かつ必要な職責であって、一体となって事にあたるべきこれら部下管理者職員の信頼を失い、離反されるに至っては、組織の力を最大限に発揮することなどはおよそ不可能であり、業務改善の推進はもとより、日常業務の遂行にも支障を来すことになるのは明らかである。

しかるに、原告は、広島中央電報局長として同局の運営にあたるに際し、周囲の状況や部下管理者職員の心情を全く配慮せず、自己中心的かつ独善的な考え方を一方的に部下管理者職員らに押し付けるという言動を繰り返したため、部下管理者職員ら全員に不信を抱かせると共に、その離反を招いたものであって、前記のとおり業務改善の実施に向けて意識改革の要求される重要な局面にある同局においては、到底その任務を果たし得ないものと判断せざるを得ない事態にまで立ち至ったものである。

すなわち、原告は、広島中央電報局着任後二週間程度の間は、森次長らと相談しながら、その業務を進めてはいたが、次第に、部下管理者職員の立場や職責、その意見或いはその心情を無視して、一方的に自己の考えや意見を押し付けるようになり、まず、局議等の会議においても、同局におけるそれまでの種々の取扱いが、それなりの理由や事情のもとに行なわれていたものであることをまったく考慮しないままに、これを無視して、現実離れした考えを提案し、更には部下管理者職員の意見を受け容れることなくこれに固執し、或いは、同局にとっては重要な施策の協議ないし決定に際し故意に部下管理者職員を排除し、或いはその意見を無視し、他方では、部下管理者職員の現場での仕事ぶりなどに対しても、その実情や当該職員の気持を考慮することなく、一方的に不適当と決めつけて高圧的に叱りつけたりしたほか、日常的にも管理者職員の職務や職責への配慮を欠いた独善的で強引な言動を続けたため、部下管理者職員全員から信頼を失い(その中にはストレスのため体調を崩す者までいた)、しかも特に局長の補佐役である森次長を故意に遠ざけ、或いは管理者職員のうち課長の役職にあるものを経ずして、直接担当者に命令するなどしたことから、みずから同局内で孤立する結果となり、部下管理者職員を統率し掌握することが不可能となったのである。

前記のような局状にありしかも大局である広島中央電報局の機関長に求められる資質は、本来相当高度なものでなければならないところ、右の言動から明らかな原告の資質、人格等は到底それにふさわしいものとはいい得ないものであって、被告公社としては、そのまま原告を同局局長として配置しておいたのでは、今後の同局の業務改善の推進はもとより日常業務の遂行にも早晩支障を来すおそれがあると判断せざるを得ないところから、本件配転命令を行ったものである。

(3) (中国電気通信局局長室調査役職位の必要性等)

被告公社は、前項のとおり原告を広島中央電報局長としては不適格であると判断して更迭することとしたが、その配転先については、中国電気通信局としては、まず本社調査役を第一に考えたが、本社側ではしかるべき職位がなかったほか、原告が東広島市に自宅を有し、広島勤務を強く望んでいたことや、おりしも被告公社が民営化問題に直面しており、通信局においても、民営化を前提とした経営上の諸問題を分析しその準備を進めることが急務となっており、わが国の参考とすべきアメリカやイギリスの通信事情を分析し、被告公社の経営課題を探り、これを通信局の経営方針に役立たせるような調査研究業務が必要となっていたところ、原告は、かつて本社経営調査室調査役当時、永年アメリカの通信事情等の調査研究に従事していたものであって、被告公社内ではその種の調査研究業務の有数の専門家であり、右のようなスタッフ的職位であれば十分能力を発揮し得るものと考えられたこと等の諸事情を総合考慮して、原告を中国電気通信局局長室調査役に配置したのである。

なお、本件配転が原告にとって降職にあたるものでないことは請求原因に対する認否4(二)において述べたとおりであるほか、勤務地は原告の希望を汲んで従前どおり広島であり、また配転前後の各ポストにおける給与上の処遇も異なるところはない。諸手当について減額があるとしても、それは、請求原因に対する認否4(二)において述べたとおり、原告が担当業務に着手しないものであるところから、それに基づく考課結果に従ったまでである。

(4) 以上のとおり、本件配転命令は被告公社の前記業務上の必要性と合理性に基づいて行われたものであり、しかも原告にとって何ら不利益となるものではないのであるから、適法であることはいうをまたないところであって、これを飯田通信局長らの個人的な偏見や先入観等に基づくものであって人事権の濫用であるという原告の主張は、原告の誤れる主観的見解にのみ依拠したものであって、失当である。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1記載の主張はすべて争う。

使用者が当然に配転を命じ得る権能を有することを前提に、具体的な配転命令を使用者の労務指揮権に基づく事実行為に過ぎないとする被告の主張は、労働の種類、態様、場所が賃金や労働時間と並ぶ重要な労働条件であることを無視した不当なものであり、しかも単なる事実行為に過ぎないとするならば、不利益な配転命令を受けた労働者を法律上の救済から排除するものであるから、到底支持し得ない。

2(一)  同2(一)の主張はすべて争う。

(二)(1)  同(二)(1)の事実は認める。

(2) 同(2)の事実中、原告が昭和四五年一月から一年間島田電報電話局長として勤務したことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告は、右当時同局の悪しき労使慣行を是正し職場の活性化等を図るために全力をあげて労使関係の是正に取り組んでいたものであり、被告主張の「島田事件」なるものはごく一部における風評に過ぎない。にもかかわらず、被告公社は右改革実施途中の原告をわずか在任一年間で不当にも同局長から関東電気通信局営業部調査役に配転したものである。

(3) 同(3)の事実中、福山本社次長が本社人事部門に対し原告が広島で勤務できるように要請していたことは知らない。その余の事実は認める。

(4) 同(4)の事実はすべて知らない。

(5) 同(5)の事実中、飯田通信局長の要望なるものが本社人事部門から福山本社次長に伝えられたとの点は知らない。発令の前日である昭和五八年一月二七日原告に対し広島中央電報局長に発令する旨の内示が行われたこと、及びその後福山本社次長からその自室において原告に対し右発令経緯について説明があり、併せて若干の要望ないし助言があったことは認めるが、その余の事実は否認する。原告が福山本社次長と実際に面談した時間は約一〇分間程度に過ぎず、その際福山本社次長から被告主張の如き内容はもとより、いかなる意味においても注意或いは忠告を受けたことはない。

(6) 同(6)の事実はすべて否認する。

(三)(1)  同(三)(1)の事実は認める。

(2) 同(2)の事実中、現場機関長が組織の長として部下管理者職員を指導し統率することが重要であることは認めるが、その余の事実はすべて否認する。

原告は、広島中央電報局着任当初から職員全体の士気高揚と職場の活性化を図り、被告公社の経営方針に則って業務改善実施のために懸命に努力し、局内全般を掌握して職員の指導統率を行ってきたものである。にもかかわらず、飯田通信局長は原告の右局務運営に対し請求原因4(二)において詳細に述べたとおり、同記載の如き意図から、陰湿なスパイ活動や妨害、分断工作を企ててきたのであって、被告主張の業務上の必要性や合理性なるものは、真実を隠蔽し、請求原因4(二)に述べた意図からなされた本件配転命令を強引に正当化するための作り事でしかない。

(3) 同(3)の事実中、原告が東広島市に自宅を所有しており、かつて本社経営調査室調査役当時アメリカの通信事情等の調査研究に従事したことがあることは認めるが、その余の事実はすべて否認する。

原告を中国電気通信局局長室調査役に配置したのは、「さらし者」にして辞職に追い込もうとせんがためであり、請求原因4(二)(8)において述べたとおり、被告主張の原告の担当業務なるものは本件配転命令発令後被告がようやく考え出した極めて名目的かつ形式的なものにすぎない。

(4) 同(4)の主張はすべて争う。

第三  証拠関係<省略>

理由

一(当事者間に争いのない事実)

請求原因1(当事者の地位)の事実及び同2(本件配転命令等)の事実(ただし、本件配転命令は、これを意思表示とみるべきかとの点を除く)はいずれも当事者間に争いがない。

二(原告主張の無効事由の検討)

原告は、被告公社の行った本件配転命令は無効であると主張し、その理由を挙示するので、以下順次判断する。

1  まず、原告は、本件配転命令は労働契約内容の変更申入れに過ぎず、原告の同意がない以上、その効力を生じない旨主張するので、この点について検討する。

(一) 一般に、労働の種類、態様、場所は、労務提供の具体的な内容をなすものであり、併せて労働者の生活にとっても極めて重要な意義を有するのであるから、労働契約の内容をなすものというべきであり、これら労働の種類、態様、場所の変更は労働契約の内容を変更するものであって、当該労働契約によって予め合意された範囲を超える労働の種類、態様、場所の変更は、労働者の個別的な合意がない場合においては、使用者の一方的命令によっては、これをなし得ないものと解すべきである。

ところで、成立に争いのない甲第五号証(日本電信電話公社職員就業規則)によると、被告公社の就業規則第五一条には「職員は、業務上必要があるときは、勤務局所又は担当する職務を変更されることがある。」と規定されていることが認められる。

しかしながら、右条項が存することから、直ちに使用者は当然に労働の種類、態様、場所の変更権を有するものと解すべきではなく、右の就業規則をも含め、当該労働契約締結の経緯、会社の規模や事業内容、従来の慣行、当該労働者の入社後の勤務の実情等諸般の事情を総合的に判断し、合理的と考えられる範囲内において、労働者は使用者に対し労働契約内容の変更権を与えることに同意したものと解するのが相当であり、かつ、それが労働契約の内容をなすものというべきである(従って、その限りでは使用者の右変更権を否定する原告の主張は採用しない)。

(二)  これを本件についてみるに、前記当事者間に争いのない事実に<証拠>を総合すると、次のとおり認められる。

(1) 被告公社は、別紙機構図(二)のような機構のもとに全国的組織で国内の公衆電気通信業務等を行っていた公法人であり、各電報局・電話局等の現場部門の業務から本社や電気通信局における経営、管理部門等の業務に至るまで極めて多岐にわたる業務内容を有するものであった。

(2) 原告は、昭和三四年三月広島大学政経学部を卒業後、同年四月被告公社に本社の定期採用によりいわゆる幹部職員候補者として入社し、中央電気通信学園での研修を経たのち、別紙職歴表記載のとおり、本社及び各地の地方機関において概ね運用部や営業部等の管理者職員ないしその候補者として勤務し、その後昭和四五年一月から一年間島田電報電話局長として勤務したが、昭和四六年一月以降は関東電気通信局や本社において一貫して調査役として勤務し、そのうち昭和五一年一月から広島中央電報局長として発令される昭和五八年一月までの約七年間は、本社経営調査室調査役の地位にあった。

(3) そして、原告を含めて大学卒の幹部職員候補者として被告公社に入社する者については、従来から、被告公社との間で職種や勤務場所を特定するが如き特段の合意がなされることはなかった。

以上の事実が認められるところ、右認定に反する証拠はない。

前記認定の原告の経歴、入社後の担当職務や勤務場所等からすると、原告は、大学卒の本社定期採用者であって、大規模な組織機構を有する被告公社内においては、当初から幹部職員候補者として全国的規模の勤務地において各種の業務を担当することが予定されているものというべきであり、従って、原告は、労働契約において、右の範囲内で合理的と認められる限度で、職種、勤務場所等を変更する権限を使用者に付与することに黙示的にせよ同意したものというべく、被告公社は、労働契約により取得する指揮命令権に基づき配転を命じ得るものというべきである。

(三) 更に、本件配転命令前後の職種に関しては、<証拠>によると、発令前の広島中央電報局長という職位がいわゆるラインの長(現場機関長)として業務運営の管理を基本とする職位であるに対し、発令後の中国電気通信局局長室調査役という職位はスタッフ部門として特定の調査研究業務をみずから行う職位であるが、いずれも管理監督職群に属する職位であって、被告公社における管理職ランクも従前同様にEランクであることが認められるところ、右事実に加え、局長と調査役とでは、右のとおり業務の性質が異なるとはいえ、ともに管理職業務であって、本件配転命令に基づく調査役としての新業務は前記のとおり原告が広島中央電報局長発令直前まで多年にわたって従事してきた業務とほぼ同種の業務内容と考えられることからすると、本件配転は原告にとって新たな異職種への配転であるとはいい難く(なお、原告は、中国電気通信局局長室調査役の職位につき、まったく名目的かつ形式的なものに過ぎない旨を主張するが、右主張が理由のないものであることは後に判断するとおりである)、また勤務地に関しても引続き広島市であって、何ら変わるところがない。

以上の事情を考慮すると、本件配転命令は、前記のとおり原告と被告公社との間の労働契約において合意された範囲内における契約内容の変更権の行使であると認めるのが相当であり、本件配転につき原告の同意を要するものではないというべきである。

よって、原告の前記主張は採用することができない(なお、配転命令を単なる事実行為に過ぎないという被告の主張も、採用し得ない)。

2  次に、原告は、本件配転命令は何ら業務上の必要性や合理性がないにもかかわらず、人事権を濫用してなされたものであるから、無効である旨主張するので、以下これについて検討する。

(一) まず、被告は、原告のような幹部職員の配置に関する人事権は、企業経営における最重要事項のひとつとして、使用者が当該職員の能力、適性、経歴、性格等の諸事情のほか企業の組織や事業全体の運営を勘案して、総合的見地から行う高度で広範な裁量に基づく行為である旨を主張するところ、右主張は、一般的には、被告が被告の主張2(一)において述べる理由ないし根拠を含めて、これを正当として是認すべきものというべきである。

(二)  そこで、本件配転命令の業務上の必要性及び合理性の有無についてみるに、まず、被告が被告の主張2(三)(1)において主張する本件配転命令当時、原告が勤務していた広島中央電報局の局状と課題に関する事実については、原告もこれを認めるところである。

次に、右のような広島中央電報局のおかれた状況を前提にして原告の同局長としての勤務態様等の実情について検討する。

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる(ただし、一部当事者間に争いのない事実を含む)。

(1) 原告は、広島中央電報局長として昭和五八年二月一日に着任して以降、同局の昭和五八年度事業実施運営の重点項目を定め、「信頼されるサービスの提供」、「業務の効率化」及び「職場の活性化」を三大柱として業務運営にあたることとし、同局の窓口整備問題についてはみずから委員長となって委員会を設置開催するなどしてこれに取り組んだが、他方、同局においては、更に当時課題とされていた電報受付用電話「一一五」を通じて電報を申し込んだ利用者への料金通知の徹底、電報の託送用紙の改訂やその際のパンチ業務の請負化、顧客応対の用語訓練(ワードトレーニング)等の問題についても、これらを積極的に検討ないし実施すべき責務を担っていた。

(2) しかしながら、他面、原告は、局長としてこれら施策ないし課題を局内で協議し、或いはそれを実施するに際しては、部下管理者職員との協議或いは意見の聴取その他の対応、或いはその手順等が必ずしも十分かつ適切なものではなく、また、そのために的確に実情を把握し得ていないのに、それを理解しないままいたずらに自説に固執し、また他に対する配慮が乏しく殊更に尊大に振舞う性向から、局議等の会議ないしは協議における発言或いは運営等を含め、日常的な職務上の言動の面でも、次のように部下管理者職員らとの間で多くの摩擦や軋轢を生じさせた。

(3) まず、原告は、着任直後の前記重点項目策定の局議開催につき、おりしも部下管理者職員の人事異動期であるため、局議メンバーが十分にはそろわないであろうと見込まれたことから、森次長らから開催を後日に送るようにとの進言があったにもかかわらず、それを受け入れ難い相当な事情があったとはみられないのに、これら進言を無視して、同年二月一六日局議を開催した。しかし、予測どおり欠席者が少なくなかったこともあって、必ずしも十分な論議をなし得ず、翌日に続行せざるを得なかった。そして、その翌日の局議では、一応協議がまとまった大綱を各課長らがそれぞれ持ち帰り、それについて課内で論議して意見を調整し、或いは周知をはかったうえで、次回の局議に臨むこととなった。

ところが、原告は、次の局議において新たな項目を加えることを提案し、その場で策定することを求めた。これは、先の局議以降、課内における論議や調整に勤めた各課長らの努力を半ば無視するものであったが、原告においてはその点を全く配慮しなかったものであり、また課内で論議を尽くさないままに重点項目を定めることに強く難色を示す課長らの異議にも耳を傾けることなく、却って、局長の決定権限をいたずらに強調して課長らの右異議を無視して、重点項目の大幅な組み替えを行った。これらの経緯からは、局議メンバーであった管理職職員にとっては、原告は局議メンバーの意見を受け容れようとはしないものであって、その職責を軽視するものであるのみか、局議を恣意的かつ独断的に運営するものであり、他方では、局内の実情或いは課長としての職責や立場には理解を示そうとはしないものと映らざるを得ないものであったことから、管理職職員に、原告に対する不信感を与えるところとなった。

(4) 同年三月末ころの土曜日の午前中、翌日が大安の日曜日となることから通常の二倍もの電報量があったため、荻野第三通信課長が右業務の迅速な処理を図るべく、みずからも一般職員とともにその業務に従事していたところ、原告は、たまたま同課長を電話で呼んだことから同課長が右の手伝いをしていることを知ったが、電報業務は繁閑の差が著しく、繁忙時には課長といえども、その業務にあたらざるを得ない実情にあることに全く配慮することなく、局長室を訪れた同課長に対し「管理者が実作業をするのはおかしい」として、一方的に叱責した。同課長にとっては、原告の右の叱責は、原告においては電報業務が時としては課長の立場からすると手伝わざるを得ない繁忙時がある実情を理解しようとはしないものと映らざるを得なかったことから、強く原告に対する不信を抱いた。

(5) また、原告は、同年三月一一日及び同年五月一八日各開催の「奥様モニター会議」(広島都市管理部が主催し、一般募集にかかる主婦数名の出席を受けて意見交換等を行うことを目的とするもので、いずれも昼食時間一時間等を含めて三時間程度の会合)に現場機関長の一人として出席したが、前者の席では、自己紹介に原告が約一〇分を費やしたことから、平田部長より顧客側の意見を聴取する時間を確保するために、被告公社側の発言時間は五分間以内とする旨の指示がなされたにもかかわらず、これを無視し、右の指示がなされた趣旨或いは会議の目的に意を払うことなく、予め顧客側から寄せられていた電報受付用電話「一一五」の応対に関する質問に対する回答の際に、殆どそれとは無関係な被告公社の内部事情やアメリカの通信事情等について約三〇分間にわたって話を続けた。また後者の席でも、その会議の冒頭に平田部長から五分間以内に発言を制限する旨の指示があったにもかかわらず、原告は右制限時間を越えて発言を続け、更にこれを見かねた岡野次長からメモ書きの交付を受けて発言の制止を受けたにもかかわらず、これをも無視し、かつ会議の目的や趣旨を弁えぬまま前同様に独り三〇分間以上にもわたって話を続けた(原告は、その後、職員に対し、右会議の発言に関して、発言時間の制限はあったものの、中電局の宣伝をさせてもらったともらした)。

(6) また、原告は、同年四月ころ同局の運営に関し前年度の成果と反省、今年度の取り組み等について「機関長事前申告書」(甲第二九号証)をまとめて都市管理部宛てに提出したが、その際、そのうちの通信局等への要望事項を含む「今年度の取り組み」の項目については、従来の例に反して森次長ら部下管理者職員の意見などを徴しないままに自己の一存で起草した。

原告は右のひとつとして営業課と配達課に分課し充実させるとの項目を掲げたが、当時には配達業務の請負化が近づいており、却って配達部門の縮小が見込まれていたもので、配達課を独立させる必要はない実情にあったものであり、またその数年前に組織の単純化のために両課を統合して営業課を設けた経緯があったものであったが、前記のように部下管理職員の意見を求めなかったことから、右はこれらの実情を全く無視したものであった。そのため都市管理部等の上部機関の不審を招いたに留まらず、上部機関からその旨の指摘を受け、実情を問いただされた森次長らにおいては、部下管理職員の補佐の立場を無視して、いわば独断専行し、そのために無用の混乱を招く原告の執務のあり方について強い不満を抱くとともに、同次長ら部下管理職員の原告に対する信頼を大きく損なう結果となった。

(7) 広島中央電報局では昭和五八年度の重点項目のひとつとして営業窓口の整備を掲げていたところ、原告は、同年五月ころ営業窓口整備委員会を設置してこれにあたることとしたが、まず、同委員会のメンバーを一方的に決定し、その人選に異論を述べた前記荻野課長に対して、その意見の当否を問うことなく「おれのいうことが聞けなければ、おれないようにするぞ」と高圧的に叱りつけて、人選を断行したほか、窓口整備の構想として、その当時としては現実には同局限りでは処理し得ない企画を打ち出し、上部機関の了承も定かでないのに、その点を明確にしないままに、その実施を目的とした審理に固執した。そのため、同委員会において長期間にわたって検討を続けはしたものの十分な論議はなされなかった。なお、原告はこの間の同年八月ころ右構想に関し都市管理部長宛てに提出する上申書(甲第三〇号証)を作成したが、その際にも、同委員会や部下管理者職員らの意見を反映させることなく、また上申の当否についても、異論があったのに、これをも無視して、みずから上申を強行した。これらは、前同様に、原告においては、管理職職員の意見を顧慮しようとはしないものであり、実情の理解を欠いたままに独善的な企画を実施しようとして、職員を徒労に終わらせ、それに対する職員の異論には耳を傾けようとはしないものと映り、原告に対する信頼を、前同様に失わせる結果となった。

(8) また、原告は、同年六月ころ女子高校生ら数十名が局内見学に訪れることとなっていた当日、それに先立って見学先の第一通信課及び第二通信課の下見に出向いたところ、たまたま電報量の少ない日であったため、手空き職員が生じていたが、これに気付くや、電報業務がもともと繁閑の差の著しいものであることを配慮することなく、第二通信課の樋村副課長に対し、その場に居合わせた職員らにも聞こえるような声で、一方的に「間引いて隠せ」と指示した(これにより同課では数名、第一通信課では半数の職員をそれぞれ別の部屋に移すこととなった)。原告の右発言はまず、原告においては電報業務の現場の実情を全く理解しようとはしないと窺わせるものであったうえ、その文言も穏当を欠き職員を軽侮するものであったことから、当該職員らに強い不満と不信を抱かせたにとどまらず、労働組合からは要員問題に関する局長発言との指摘のもとに団体交渉を求められる結果となった(なお、これについては、森次長や労務厚生課長が労働組合側と話し合い、組合側の一応の了解を得ることができた)。

更に、広島中央電報局では、当時電報業務改善の一環として、都市管理部から前記電報受付用電話「一一五」の利用者への料金通知の徹底を指示されており、また中国電気通信局から電報の託送用紙の改訂を指示されていたが、原告の意向に左右されて局内での十分な論議や検討がなされないままとなり、これらの迅速な実施が果たされなかった。

(9) 原告は、その他の局議や通信局長主催の機関長会議等においても、会議の目的や当面の議題、その審議の緊急性を配慮することなく、その場にふさわしいとはいい難い話題について長時間話を続けて、事実上会議の円滑な進行を妨げることが少なくなかった。

また、データ通信の販売のため顧客方を訪問して商談を行った際にも、担当課長から予め渡されていた顧客側の経営状況に関する資料を、無配慮にも相手方からもそれに記載のメモ書きなどが望見される恰好で所持し、これを指摘した同席の部下管理者職員らに対し、ことさらな理屈を設けて反論するなどの所為があった(なお、右の職員においては原告の行為にひんしゅくしたほか、原告の右の対応から顧客関係の商談に原告の同席を求めるは不適当であるとの判断に至らざるを得ない状況であった)。

(10) また、原告は、広島中央電報局着任後しばらくすると、後記する事情が示すとおり飯田通信局長を好ましく思わなくなったことなどから、飯田通信局長に親しい森次長を故意に避け、やがてはことさらに遠ざけるようになり、ついには、同次長に対しあらわに嫌悪感を示すまでに至った(なお、原告は、同年一〇月に定期的に被告公社宛てに提出される森次長の職員考課表(乙第二四号証の三)に、広島中央電報局長として同次長に対する評定をその所見欄等に記載するにあたり、「周辺の管理者から「飯田一派のスパイ」と言われ、そのためにこわがられるような態度を捨てさせるべきである」、「人間として、組織人としてあるまじき陰湿な言動をとり、広く無用の混乱を生じさせたが、それに対する反省の情を示していない」などと記入した。ちなみに、森次長に対するその際の平田部長の評定や原告の前任者である吉岡武士前広島中央電報局長らによる従前の評定は、森次長の勤務実績を高く評価したものとなっており、原告のそれとは著しく異なるものであった)。

以上の事実が認められるところ、原告本人の供述中右認定に反する部分は、前記各証拠に照らして直ちには採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(三)  更に、以上のような原告の勤務状況に対する被告公社側の対応を検討するに、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる(ただし、一部当事者間に争いのない事実を含む)。

(1) 飯田通信局長は、原告の広島中央電報局着任時のいきさつとそれまでに見聞してきた原告の人柄等(その詳細は後記(六)のとおりである)から、原告の今後の局務運営に少なからぬ懸念を抱き、総括者の立場から、平田部長、岡野次長や森次長らに対し、原告の勤務に関し問題が生ずればその都度報告するように指示していた。

(2) 中国電気通信局監査部の中村勝政部長は、昭和五八年五月末ころ広島中央電報局に対する定例的な一般監査を行ったが、その際に、局状説明を原告が他の部下管理者職員の同席のないままに一人で行ったうえ、係長らを誉めるものの課長らをそしる発言をしたため、原告と部下管理者職員との間が尋常ではないのではないかと疑い、これを飯田通信局長に伝えたところ、飯田通信局長から更に十分な調査をするようにとの指示を受けたことから森次長ら三名に対し事情聴取を行った。

(3) 更に、飯田通信局長は、八尾秘書課長に対し、広島中央電報局の管理者職員から、ある程度時間をかけても、同局の実情とそれに関する管理者職員の言い分等を十分に聴取するように指示し、これを受けた八尾秘書課長は同年六月ころ森次長ら八名に対し事情聴取を行った。

(4) 右の事情聴取によって、いずれも原告に関する前記(二)認定のような具体的事実が判明ないし確認され、併せて管理者職員らは原告に対し強い不信と不満を有しており、加えて、広島中央電報局の課長らにおいては、原告が課長の職務権限や、その立場を無視し、直接係長らに指示命令することにも強い不満を抱いているのであって、右のような実情のもとでは、原告を信頼し、これに従うことは難しいとの気持でいることも明らかとなったことから、中村監査部長や八尾秘書課長は、それぞれその旨を飯田通信局長に対し報告した。

(5) また、広島都市管理部においても、平田部長や岡野次長は、同年九月一二日倉敷市で行われた経営懇話会等で原告と飯田通信局長との間で激しい口論のあったこと(その詳細は後記(六)(2)のとおりである)を知り、翌一三日から二日間にわたって、原告に対し、飯田通信局長との右口論の原因となった同局長の指摘について、あらためて説諭を試み、併せて原告においても反省すべきことを促したが、原告は、自己の主張や言動の正当性を強調するのみで、自省しようとするところはなく、部下管理者職員が原告から離反しているとの指摘も否定し、仮にそのような者がいたとしても一部の者に過ぎないとの主張に終始した。

(6) そこで、平田部長及び岡野次長は、原告のそのような弁明や対応から、なお、広島中央電報局の実情を十分に把握する必要があると考え、同局の管理者職員十数名全員に対する事情聴取を行うこととし、同年九月下旬ころ約五回にわたって数人ずつ都市管理部に呼んで事情を聴いたところ、いずれも中村監査部長や八尾秘書課長による事情聴取の際と同様に原告の勤務状況の問題点を指摘し、一致して原告にはついていくことができないと述べたため、再度、原告に対し、部下管理者職員はその一部に留まらず、ほぼその全員が前示した考えないし気持でいることを指摘し、重ねて自省を促したが、原告は反省すべき点はないとの頑なな態度をとり続けた。

(7) なお、その後、原告は、同年一〇月ころ、定期的に被告公社宛てに提出すべき自己の職員考課表(乙第二二号証の九)中の上長への上申欄には「わが局の正当な改革努力を直視せず、陰湿な意図をもってなされる分裂策動に対してこれを受容するようなことのないよう要望しておきたい。また機関長に対する人権無視の侮辱は、厳に慎んでもらいたい」旨を記載し、これを提出した。

(8) 前記のような事情聴取に基づく報告を受けた平田部長及び飯田通信局長は、いずれも部下管理者職員全員が原告に対する信頼感を既に失っている実情のもとでは、原告は現場機関長たる広島中央電報局長としては不適任であり、引続き右の職務におくことは相当ではないと判断し、前記職員考課表に上司として原告に対する評定を記載するにあたり、いずれも単独職へ異動させるべきであるとし、その理由として「電信合理化をひかえ、管理者一体となった職員対策等を委せられない」旨を記入し、総合勤務実績についても「はなはだしく劣っている」としたほか、平田部長は、その根拠として「業務改善の意欲は認められるが、実行に当って、周辺環境の認識が不充分で部下の意見を聞かず、自己主張を強引に押し付ける等、管理者の統率を欠き、部下の信頼を失っている。組織としての結束が図られないため、施策は空転し、混乱することもあり、大きな成果は期待できない」旨を記入した。

(9) ところで、飯田通信局長は、その間八尾秘書課長を通じて被告公社の本社人事部門に広島中央電報局の実情を報告していたが、前記のとおり原告に対する同局長更迭の必要性を感じてのちは、人事担当部署である本社秘書課に対し直接同局の実態調査を行うことを要請した。

これに基づき、吉田本社秘書課長は、同年一二月二三日午後原告を本社秘書課長室に呼び寄せ、三浦同秘書課長補佐役の同席のもとで約二時間半あまり原告と面談し、広島中央電報局の部下管理者職員に対する掌握、統率が不十分なために局務運営が成り立たないとの意見が飯田通信局長から出されていることについて触れ、原告の考えをただしたところ、原告においては、具体的な事例を挙げて自己の職務執行のあり方や、或いは指摘された言動について誤ってはいない旨を主張し、更に飯田通信局長を「飯田」と呼び捨てにし、また「飯田のスパイ」などの表現を用いながら上司や部下の非難を続けたため、原告に対し、上司や部下に対し、右のような呼称を用いて非難し、自省しようとはしないことそのことが、組織の長として職務にあたるには最大の難点であることを指摘し、更には広島中央電報局長への発令が同局長やその他中国管内の上司の好意に基づくものであり、原告としては、その地位を大切にすべきであると諭したが、原告においては「業務運営には何の支障も出ていない」などと述べて、右の説諭等を聞き入れる様子がみられなかったことから、前示上申のとおり原告は同局長としては不適任であり、他への移動もやむを得ないものと考え、原告の被告公社入社時の訓練や研修の際の教官でもあったので、先輩としてのアドバイスである旨を前置きしたうえで、「次の人事では局長のポストをはずすことになろう。はずされた場合には居づらくなるであろうから、せっかく故郷に帰って居づらくなるよりは、君自身の将来の希望が広島において自分で仕事を見つけるということならば、この際自発的に辞めたらどうか」などと話した。

(10) 更に、飯田通信局長も、昭和五九年一月一八日平田部長同席のもとで原告と面談し、前記吉田本社秘書課長と原告との間の面談内容にも触れながら、部下管理者職員が原告に対し強い不信感を抱き、一部には嫌悪感さえ抱いていることを指摘し、原告の自省を求めたが、原告からは終始「まったくの事実誤認であり、自分を理解する人間は多い」「そういう忠告を受ける必要はない」などとする発言が続いたため、原告の反省を待つのはもはや無意味であると判断し、原告に対し「次の人事では局長のポストをはずすことになろう、君のような独善的な者は生きてはいけないよ」などと告げて、原告を広島中央電報局長から更迭する旨の上申をする意向を固めたことを明確に伝え、その後吉田本社秘書課長に対しても、その旨の人事異動の実施を要請した。

なお、原告は、前示の吉田本社秘書課長及び飯田通信局長との面談の席において、広島中央電報局長からの更迭には承服できないことをそれぞれ言明し、飯田通信局長に対しては再考方を求めたが、その後同年一月二六日本件配転命令を受けるに至った。

以上の事実が認められ、原告本人の供述中右認定に反する部分は、前記各証拠に照らして直ちには採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(四) 前記(二)及び(三)において判示した事実関係を総合すると、原告が広島中央電報局長であった当時の同局の局務運営は、前記のような局状のもとにあって、原告の主観的認識は別として、必ずしも順調に進んでいたものとはいい難いばかりか、局長として職員を指導統率して局務運営を行うにあたっては職員から信頼と信任を受け得ていることが必要であるにもかかわらず(従って、局長としての職位には職員のしかるべき信頼と信任を得るに足る高い資質と人格が要求されるものというべきである)、部下管理者職員らは前記(二)認定のような原告の言動等を理由に原告に対する信頼を失い、局長たる原告の指揮指導を受けようとする意欲をも欠くに至ったものであることは否定し難いところであり、しかもこのような管理者職員の原告に対する不信或いは原告からの離反は、同職員を通じて行うべき一般職員に対する指導統率にも重大な影響を及ぼしかねないといわざるを得ないものであるから、これらの事情からすると、原告の同局全体の業務管理や職員に対する指導は結局十分ではなかったものと認めざるを得ないところである。

従って、被告公社において、飯田通信局長や平田部長、岡野次長、更には吉田本社秘書課長らによる原告あるいは広島中央電報局の管理者職員に対する事情聴取を経て、右と同様の判断のもとに、原告を引続き同局長として配置しておいたのでは、前記のような課題を抱える広島中央電報局において、局長による十分な局の統括をなし得ず、前記のような業務改善の推進はもとより日常業務の遂行にも早晩重大な支障を来すであろうと考え、業務運営の円滑化や職員の勤労意欲の高揚等を図るため、原告を同局長から更迭することもやむを得ないものと判断したことをもって、不相当ということはできない。

よって、本件配転命令につき業務上の必要性がなかったものとは認め難いものというほかない。

(五)  そこで進んで、本件配転命令による原告の配転先の業務等について検討するに、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる(ただし、一部当事者間に争いのない事実を含む)。

(1) 飯田通信局長は、前記のとおり原告の更迭を考えた際、その配転先として単独職である被告公社の本社調査役を推薦したが、本社においては適切な役職がなかったことから、右の推薦を受け容れ得なかった。

(2) ところで、原告は前記のとおり以前本社経営調査室に調査役として勤務していたが、その間、昭和五三年以降多年にわたってアメリカの電信電話会社であるベルシステムの調査研究に従事したことがあり、またこれとは別に経営分析担当グループのサブリーダーとして日米労働生産性の比較、アメリカの市外通話料金体系の分析や収入・支出の地域配分問題等の調査研究に従事したこともあって、この種の調査研究業務に関しては、被告公社内で相当高い評価を受けていた。

(3) そこで、飯田通信局長や吉田本社秘書課長らは、昭和五九年一月下旬ころから原告の具体的な配置につき検討を続けたが、前記のとおり現場機関長としては不適格であるとしても、右のようなスタッフ的職位であれば十分な知識や経験があり、その能力を発揮できるものと考えられたことや、原告がかねてより広島での勤務継続を強く望んでいたこと等を併せ考慮したうえ、原告を中国電気通信局長に直属する同局長室調査役に配置することとした。

(4) そして、おりしも被告公社はその当時民営化を控えており、早急にこれに伴う経営上の諸問題を分析し、民営化に向けて業務の見直しを検討する必要があったところ、通信局レベルにおいても、地域事情に応じて独自の経営方針を考えるべき場合も予測され、本社段階の調査研究と並んで右民営化に関する諸問題を調査研究する必要性がないではない実情にあったことから、飯田通信局長らは、この調査研究業務をもって原告の中国電気通信局局長室調査役としての担当業務と定めた。

(5) 原告は、本件配転命令を受けるや、これに承服できないこと及び無用な混乱を避けるために一応発令に従って転任すること等を記載した「申入書」と題する書面(甲第三号証)を被告公社総裁宛てに提出したのち、同年二月四日中国電気通信局に着任したが、その後現在に至るまで業務内容が明確でないことなどを理由に前記担当業務にまったく着手していない。

(6) その間、同年一月三一日飯田通信局長に代わって大星公二新中国電気通信局長が着任し、新局長は、二月二日八尾秘書課長同席のもとで原告と面会したが、その際には着任早々のため原告との間で担当業務までには面談が及ばず、その後八尾秘書課長から原告の前記担当業務内容の報告を受けたうえ、同月一五日原告に対し、「アメリカやイギリスの通信事情を分析しながら、民営化による経営形態の変革にあたりどのような課題があり、これに対してどのような方策を立てていくべきか等を検討して、通信局に提言すること」を原告の担当業務とすることにした旨を伝え、更に八尾秘書課長は、同年四月二七日原告に対し右業務内容を記載した「吉本調査役の担当業務」と題する書面(甲第九号証)を交付した。

しかし、原告は、同年五月二日八尾秘書課長に対し右書面の内容の明確化等を求めた「質問書」と題する書面(甲第一〇号証の一)を見せたのち、同課長宛てにこれを郵送するに至った。

以上の事実が認められ、原告本人の供述中右認定に反する部分は、前記各証拠に照らして直ちには採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定の事実関係に加え、これまでに認定説示してきたような原告が広島中央電報局長から更迭されるに至った経緯や被告公社における管理職ランクについてはEランクであって、変わるところがないことなどを総合すると、原告の配転先の業務は、中国電気通信局において具体的な必要性がなく、その職務内容が明確でないものとは到底いい難いうえ、被告公社が原告を前記担当業務にあたらせることとした人選についてもこれを不合理であるとすることはできないものといわざるを得ない。

なお、原告は、中国電気通信局局長室調査役という職位は、形式的かつ名目的なものにすぎず、従来から再就職予定の退職待機者に短期間だけ与えられてきたものであり、被告公社が本件配転命令により右職位に原告を配置したのは、明らかに辞職に追い込むためである旨主張するが、右主張のうち、中国電気通信局局長室調査役の職位が形式的かつ名目的なものであるといえないことは前記認定の業務内容に鑑みて明らかであるほか、辞職に追い込むための配転であるとして縷々主張する点については、<証拠>によると、被告公社においては、本件配転命令当時Eランク以上の通信局調査役が原告を除いて全国に二名配置されていたが、中国電気通信局ではこれまでEランク以上の同局長室調査役が配置されたことはなかったこと、また本件配転の約一年前に右職位に配置された前記吉岡武士(広島中央電報局長としては原告の前任者である)ら三名の者(右当時いずれもFランク以下の者)はいずれもその配転後まもなく被告公社を辞職していること、昭和五九年四月当時の被告公社の職員録及び同年六月当時の中国電気通信局の職員録にはいずれも局長室調査役として原告の氏名の記載があったが、被告の昭和六一年四月当時の職員録においては原告の氏名の記載がなくなったこと、そして原告には補助的職員が配置されていないことが認められるが、これらの事情だけでは、本件配転命令をもって原告を辞職に追い込むがための配転とみることができないことはいうまでもないところであり(原告本人の供述中これに反する部分は採用し難い)、そしてその他の証拠を検討してみても原告の右主張を裏付けるに足る証拠はないから、原告の前記主張は採用することができない。

また、原告は、本件配転命令後は諸手当等の減額がなされているものであって、原告は本件配転によって右の不利益を被っているものであり、右の減額がなされたことをもって、給与面からも辞職を強要されている旨を主張するが、<証拠>によると、原告に対する給与上の減額に関しては、いわゆる夏期・冬期(年末)手当や年度末手当については昭和六〇年度ころから、また管理職手当については昭和六二年四月分ころからそれぞれ減額が行われるようになったが、これらは、いずれも被告の管理職給与規則(被告公社当時は指定管理職給与規則)やその解釈運用基準等(特に「業績・能力が著しく低下している者の取扱い(の実施)について」と題するもの)に則り人事考課を行った結果の査定によるものであること(なお、前記民営化後の昭和六〇年一一月から職能資格制度が導入され、これまでの管理職ランク制度が廃止されたが、その際には、原告は、従前のEランク(副参与一級)から新たに参与の地位に格付けされており、職位上の不利益変更はなされていない)が認められるものであって、これに前記認定のとおり原告において本件配転命令後まったく担当業務に着手していないことを考えあわせると、被告の行った原告に対する右諸手当の減額は、異動後の原告の勤務実績によるものというべきであるから、本件配転に伴って当然に生ずる不利益ということは困難であり、かつ右の減額を原告主張の如き退職強要の措置ということはできない。

(六)  最後に、本件配転命令は、飯田通信局長やその意を受けた被告公社人事部門の原告に対する偏見や先入観に基づいてなされた不当なものであるとして、原告の指摘する事情に関する判断を付加する。

(1) (広島中央電報局着任時における書面の提出要求について)

まず、前記のとおり広島中央電報局長として発令された原告が、昭和五八年二月一日飯田通信局長のもとに着任の挨拶に出向いたこと及びその際同局長が原告に対し書面の提出を求め、翌日原告から書面の提出がなされたことは、右書面の趣旨とするところを除いて、当事者間に争いがないところ、原告は、飯田通信局長が原告に対して提出を求めた書面は「白紙の退職願」であり、その趣旨は、原告をいつにてもその意のままに退職させることができるようにするためであって、これは同局長が原告に対し当初から不当な偏見や先入観を抱いていたことの証左にほかならない旨主張する。

そこで、原告が広島中央電報局長としての発令を受けるに至った経緯及び原告の飯田通信局長に対する着任挨拶の状況等をみるに、右争いのない事実に<証拠>を総合すると、次のとおり認められる。

(ア) 飯田通信局長は、昭和四三年一月から二年間長崎電話局長として勤務したことがあり、その当時九州電気通信局運用部電話課長であった原告とはじめて面識を持ったが、その後原告において前記のとおり昭和四五年一月から島田電報電話局長として勤務していた際、原告の打ち出した新たな労務管理対策等をめぐって、原告と労働組合(全電通静岡県支部や同島田局分会)との間で対立紛争が生じ、その際、同組合から原告に対する同局長更迭要求が出されたり、労使交渉中の出来事が原因となって原告と同組合員の双方がそれぞれ相手方を刑事告訴する事件を惹起し、更に当時の同局の上部機関である東海電気通信局から本社人事部門に対して原告の島田電報電話局長更迭の要請が行われるなどしたのち、昭和四六年一月原告の関東電気通信局営業部調査役への配転がなされるに至ったが、その当時本社職員局職員課長の地位にあった飯田通信局長は、右職員局労務課を通じて、右紛争の経緯や島田電報電話局における原告の局務運営等の実情を聴き、併せて、原告の性向や人柄についても、ある程度はこれを知り得ていた。

(イ) その後は、原告は、前記のとおり昭和五一年一月から本社経営調査室調査役として勤務していたが、昭和五七年ころに至り本社組織整備の一環として右経営調査室の廃止が決定され、原告に対する人事異動の問題が現実化した(なお、昭和五七年度の定期人事異動の際にも、原告の中国電気通信局経営調査室調査役への配転問題が本社人事部門と飯田通信局長との間で検討されたが、当時右職位にあった者との兼ね合いや飯田通信局長の意向等から結局見送られる経緯があった)。当時原告の直接の上司であった福山本社次長は、その前任者加藤透前本社経営調査室次長から依頼を受けていたところでもあり、また原告がかねてより現場機関長業務に従事したいとの希望を持ち、昭和五七年には東広島市に自宅を新築して家族の一部を帰すなどしていたため広島での勤務を強く望んでいることを知っていたことから、本社人事部門に対し原告が現場機関長として広島において勤務し得るような異動を上申していた(乙第二二号証の八)。ところで、それまでの被告公社内における原告の性格・適性や勤務状況等に対する所見や評定については、昭和五一年度以降の原告についての前記職員考課表上では、与えられた仕事に対する積極的取り組みが評価されてはいたものの、自己主張が強すぎて他人への配慮や協調性に欠けるとの指摘がなされていた。

(ウ) 昭和五八年度における前記本社経営調査室の廃止に伴う原告の人事異動にあたっては、本社人事部門においては、右の事情のほか、近時の原告の仕事ぶりなどから原告もある程度は人間的にも成長を遂げているであろうと考えられたことから、原告の希望をかなえるべく、再度飯田通信局長に対し、原告の中国電気通信局管内の現場機関長の職位での受け入れ方の了解を求めたところ、飯田通信局長は、前記のような原告の人柄等についての認識から、当初はそれに難色を示したが、前年度に続く本社からの申入れであることや、原告が苦学して被告公社に入社した経緯に照らすと伝統的に苦学した職員の多い広島中央電報局であれば、或いは局長の職務も滞りなく遂行し得るのではないかと考え、結局原告の受け入れを受諾した。

しかし、飯田通信局長は、原告が広島中央電報局長として局務を運営するについてはなお不安があったため、本社人事部門に対し、その発令に際しては、原告から新任地では心機一転頑張る旨の一札(書面)を提出させるべき旨を求めた。本社人事部門としても、原告に対する右の人事異動が飯田通信局長の受諾によってようやく実現した事情をふまえれば、右の申入れを無視し得ないことから、異例のことではあったが、発令の際に原告に対し厳重に注意を与え自覚と自省を促す説諭を行うこととする旨を伝えて、飯田通信局長の諒解を得た。そして、飯田通信局長の右要望は本社人事部門から同経営調査室の小野浄治室長や福山本社次長に伝えられ、発令の前日である昭和五八年一月二七日原告に対する右発令の内示後、福山本社次長は、原告を自室に呼び、約小一時間にわたって、今回の人事異動が、前記加藤前経営調査室次長や本社人事部門、飯田通信局長ら多くの上司の格別の好意と助力によってはじめて実現したものであって、原告の能力や資質、それに対する評価のみによるものではなく、その意味では、原告の力で右の職位につき得たものではないことを十分に自覚し、希望どおりの発令を受け得たについては、そのために計らった上司には然るべき感謝の気持ちを持つようにすることと、広島に帰れるのであるから、無事勤めれば被告公社内で道がひらけるであろうこと等を話すとともに、異例の注意であるとしつつ、赴任後は次長以下の部下管理者職員を信頼してそれらに仕事を任せ、みずからは仕事をしようとせず、また部下の意見を尊重し、決して自分限りで判断したり、行動したりしてはならない旨忠告した(原告は、右の説諭を傾聴した)。

(エ) 飯田通信局長は、その後前記小野経営調査室長から、みずからもまた福山本社次長からも、原告に厳重に注意しておいた旨の連絡を受け、原告が既に十分な自覚と反省を抱いて着任するものと期待していたが、同年二月一日前記のとおり着任の挨拶に訪れた原告の最初の挨拶の言葉が「先輩、来ました」という内容であったため、原告の「先輩」という言葉やその際の態度に右の期待をはぐらかされた感を抱いた。ついで、飯田通信局長は、しばらくの間原告と雑談したのち、発令を受けるにあたって本社で何か言われたことはないかと尋ねたところ、原告においては繰り返し「いいえ」と述べて、これを否定した。そのため、飯田通信局長は、原告が福山本社次長らから受けてきた筈である忠告や注意を重んじ、これに従って、従来の態度について自省する旨や新任務に対する決意のほどを自発的に述べるであろうとの期待に反して、原告においては福山本社次長らの忠告などを真摯には受けとめず、何らの自省をも経ていないものと考えるとともに、原告が右のように上司の忠告さえも無視する態度であるならば、今後が更に懸念されたことから、原告に対し、いま一度従来の態度或いは考えについていわゆる心機一転の覚悟で反省すべきことを促し、併せて局長の職務に取り組むにあたっては、その当否のすべてを飯田通信局長など上司の判断に委ね、もしその職責が全うされないときにはみずから職を辞するくらいの決意を抱かせるとともに、右の決意のもとに執務させる必要があると判断し、あらためて右の自省と決意をなさしめるために「自分のことは僕に任せるという意味のことを書いて出しなさい。僕がいなかったら明朝八時半までに僕の机の上に置いてくれ」と申し渡した。これに対し、原告においては、同局長がこれにより原告に自省と自覚を促そうとするものであることに意を払うことなく、総裁発令の職位にあることを理由として同局長のそのような命令に応ずる必要はない等と抗議した。しかし、その後、原告は、福山本社次長に電話で相談したりしたのち(その際、同次長はあらためて原告を説諭した)、翌二日飯田通信局長宛てに「一切をおまかせ致します。昭和五八年二月二日吉本英章」と記載した書面(乙第一八号証の二)を提出した。

以上の事実が認められるところ、原告主張の如く飯田通信局長が提出を求めた書面が「白紙の退職願」そのものであったとするならば、そのような文面になっていないことが明らかな前記書面(乙第一八号証の二)を受け取った飯田通信局長としては、当然直ちに原告に対し書き直しを求めた筈であるとみられるのに、前記証拠によるもそのような処置はなされていないことが明らかであるうえ、飯田通信局長には、着任早々にして原告をいきなり退職に追い込もうと考えるほどに特殊な関係が、原告との間にあったとは窺われないこと等の事情に照らすと、原告本人尋問の結果中前記の認定に反する部分は直ちには採用し難いものといわざるを得ず、他に以上の認定を左右するに足る証拠はない(なお、前記証人岩館新一の証言中には、一部右認定と趣旨を異にする部分が存するけれども、右認定を動かすには足らない)。

右認定の事実関係によると、飯田通信局長が原告から提出させようとした書面は、飯田通信局長が原告の広島中央電報局長発令に際して、本社人事部門に対し前示の趣旨の条件として原告から提出させるべき旨を申し入れた心機一転頑張るとの趣旨の一札と同旨のものと考えられるうえ、現実に原告が提出した書面は、みずからの進退を含めて局長としての職務の当否の一切を上司たる飯田通信局長の判断に委ねる意思である旨の表明と解されるものであるところ、これらの事情と前記認定の事実を合わせ考えると、右書面(それを「白紙の委任状」と称するか、「白紙の退職願」というかは措くとして)を提出させることを考えた飯田通信局長の意図は、右書面を提出させること自体にあったものではなく、右趣旨の書面を作成させ、これを提出させることによって、原告に対し前記のとおりの反省と自覚を求めようとすることにあったことが明らかであるから、右書面の提出要求をもって、飯田通信局長においては、原告を意のままに退職させようとし、そのために右書面を要求したものとは到底解し難く、また同局長が原告に対する不当な偏見や悪感情を抱いていた証左とみることも困難である。

(2) (経営懇話会等における飯田通信局長の言動について)

昭和五八年九月二一日倉敷市で開催された飯田通信局長主催の経営懇話会に、原告は現場機関長の一人として出席したが、その席で、同局長が原告の「お客様代表者会議」における発言時間を問題に取り上げたこと、右お客様代表者会議においては原告の発言時間が五分間に制限されたものではなかったこと及び右経営懇話会に引き続いて行われた懇親会ののちの席上で飯田通信局長が原告に対し辞表の提出を求める発言をし、これに対し原告が「辞表は提出しない」と反論したことは当事者間に争いがないところ、原告は、飯田通信局長の右経営懇話会やその後の席における発言をもって、前同様に、これらを飯田通信局長が原告に対して不当な偏見や先入観を抱いており、何としても原告を退職させようと考えていたことの証左である旨主張する。

そこで検討するに、前記「奥様モニター会議」(同年三月一一日及び同年五月一八日開催)において、原告は、平田部長や岡野次長によって発言時間を五分間以内にするようにとの指示をなされたものであるにもかかわらず、これを無視して約三〇分もの間必ずしもその場にふさわしいとはいい難い話を続けたことは、前記(二)(5)において認定したところであり、これと右争いのない事実に、<証拠>を総合すると次のとおり認められる。

(ア) 原告は「お客様代表者会議」(同年五月二五日及び同年九月八日開催)の席上でいずれも約三〇分間電気通信事業の現況に関して説明を行ったが、その際には発言時間の制限がなされていなかった。ところで、飯田通信局長が前記経営懇話会の席において(出席者は全員で合計一四名)、「お客様代表者会議」における原告の発言に言及したのは、経営懇話会における原告の発言が会議全体の進行を考えず、更には出席者が共通して議論し得る議題から外れたものであったにもかかわらず、これを意に介しないまま長時間話し続ける原告の態度を指摘し反省を求めようとして、それまでの実例をも挙げるためであったに過ぎず、その際、同局長は、単に実際に長時間発言がなされた会議を、思い違いから「お客様代表者会議」と話したものであった。しかし、その際原告は、同局長が前記の如く原告の長時間発言を指摘する趣旨に理解を示さず、発言制限のなされた会議がいずれの会議であったかを問題として、これにのみこだわり、飯田通信局長に対し「お客様代表者会議」では発言時間の制限はなされていない旨を再三主張した。そして飯田通信局長は、右経営懇話会の席上でその主催者として最後に発言するにあたり、出席した広島中央電報局以外の局長らに対してはいずれもその局務運営を高く評価する賛辞を述べたが、「広島中央電報局だけはこの限りではない」と話して締めくくった(同局長が右のような直截な評を加えたのは、多少でも賛辞を付加するときは、原告においては恣意的にそれをのみ受け容れ、真に必要な指摘を無視するであろうとの思惑からであった)。

(イ) 同日はその後引き続いて懇親会があり、午後七時ころから飯田通信局長を囲んで、二次会の席が設けられたが、前記会議における同局長の指摘や非難に立腹した原告は、当初からその席には出なかったものの、同局長の原告を呼ぶようにとの指示に基づき他の出席者である同僚が誘いに来たため二次会に加わった。そして、飯田通信局長は、隣に座った原告に対し、十名余りの同席者の居る場で、広島中央電報局では部下管理者職員が原告の独善的な行動のため非常に心痛していることを指摘したうえ、原告に対し、自省し、右のような行動は改めるように説諭しながら「人間の心情を理解しないと、他人だけでなく自分自身をも不幸にするぞ」などと種々諭しかけたが、原告においては自分には間違ったところはなく、局長が独善的な行動と指摘するところは事実誤認に基づく評価である旨を述べて弁解し、一向に説諭を聞き容れようとはせず、却って反発したことから、原告に対しなおも説諭を続けるうち、依然反省しようとはしない原告の態度に立腹し、「言うことが聞けないのなら、辞めたらどうだ。辞表を出せ」と言ったところ、原告においては「辞表は提出しない」と反論し、そのまま二次会は終了した。

以上の事実が認められ、原告本人の供述中右認定に反する部分は、前記各証拠に照らして直ちには採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定の事実関係によると、飯田通信局長は前記経営懇話会において原告の長時間発言を指摘するにあたり、会議名を取り違えたことがあったものの、飯田通信局長の真意は、これまでの会議等における原告の発言上の問題を取り上げ、それを一例として、原告の執務上の態度について反省を促そうとするものであったことは否定できないところであるほか(右の誤認をもって、飯田通信局長が誤った情報に基づく不当な偏見等を抱いていたとみることはできない)、前記懇親会の二次会の席において、飯田通信局長が原告に対し辞表の提出を求める発言をしたことは、酒席の上であるとはいえ、他に同僚などの居る場における発言であり、同局長の立場に鑑みるといささか妥当を欠く感情的な対応であったといわざるを得ないものではあるが、他方右発言がなされるまでの当日における前記認定の同局長の指摘や説諭と、これに対する原告の弁解ないし反発の実情に加えて、<証拠>によると、飯田通信局長は、昭和五八年八月、原告が記載した本社人事部門宛ての「身上調書」(乙第二三号証)中の「異動についての希望等」の欄には「広島から離れたくない。ただし、真藤総裁からの要請があれば別」と、また「再就職についての希望等」の欄には「再就職の希望はない。ただし、先方から就任要請が特にあれば、その時点で検討したい」とそれぞれ記入されており、その内容がいかにも思い上がった不当なものであったことから、原告の今後を慮り、八尾秘書課長らを通じて原告にその書き直しを指示し、記載内容を改めた同書面(乙第八号証の二)を提出させたことが認められるものであって、これによっても、飯田通信局長は、前記(1)のような原告の着任挨拶の際の経緯の後にあっても、原告のために好意的な措置を講じていることが窺われるところであり、これらの事情のほか、そもそも被告公社内において飯田通信局長の一存のみによって原告を退職させ得るものではないことは、その組織機構上存在する手続や制約等に照らすまでもなく明らかであることなどを考え合わせると、飯田通信局長の前記発言は、原告に対する一連の注意と説諭の後に、これをまったく聴き容れようとはしない原告を、更に強くたしなめ、かつ叱責する趣旨でなされたものと解されるところであるから、右発言をもって、原告を辞職に追い込むためにその言葉どおりに辞表を強要したものとも、また同局長が原告に対しいわれなき偏見や悪感情を抱いていた証左であるとも直ちにはいい難い。

(3) そのほか、飯田通信局長が八尾秘書課長らを介して広島中央電報局の部下管理者職員らに対して行った事情聴取や、平田部長ないし岡野次長らによる原告或いは右職員に対する事情聴取、更には吉田本社秘書課長及び飯田通信局長の原告との面談については、これらが、いずれも被告公社における組織上のそれぞれの役職や職責に基づき広島中央電報局の局務運営を指揮統括し、或いは監督すべき職責のもとに行われたものであることは、既に前記(三)及び(四)において認定説示したところから明らかであり、これらをもって原告主張の如き「スパイ活動」、「分断工作」などとは到底評し得ないものであって、これに関しても不当な点は見出し難い。また、中国電気通信局局長室調査役の職位が形式的かつ名目的なものであるとは解し難く、同職位への配転が原告を辞職に追い込むがためのものであるとは認め難いことは、前記(五)においてみたとおりである。

(4) 以上によると、飯田通信局長らが原告に対し不当な偏見や先入観を有しており、もっぱらこれに基づいて本件配転命令を行ったものであるとすることはできない。

(七) よって、前記(一)のとおり原告の如く高位の管理職の地位にある幹部職員の配置に関する人事については相当高度で広範な裁量の余地が存するものと解すべきことに鑑み、先に認定説示したとおり本件配転につき業務上の必要性及び合理性の存すること、原告においては本件配転命令によっても職位上及び経済上、特に不利益を被るものではないことなど前示の事情を総合考慮すると、被告公社の行った本件配転命令は人事権を濫用してなされたものであるとは認め難く、その他の証拠を検討してみても、人事権の濫用と認め得る事情を窺わせるに足る証拠は見当らない。

従って、原告の前記主張もまた採用の限りではない。

三(結論)

以上のとおり、本件配転命令が無効であることを前提とする原告の本訴請求は、その理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官北村恬夫 裁判官前川豪志 裁判官安浪亮介は、填補のため署名押印することができない。裁判長裁判官官北村恬夫)

別紙<省略>

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